割と大事な話な気がする。

前に進む不安感、後ろに戻る安心感。誰かが言ってたような。自分で考えたような、、。

 

勿論僕の場合は前に進む不安感を選びます。

さて、そんな訳で10月20日に行う滑稽のドアレコ発企画『大株主総壊』

やっとこ形になってきまして6月中には出演者をコツコツと発表して、7月からずーっーーーーーっっとぉ!!宣伝していこうかなと思ってます。

 

今回くどいくらい言ってる『僕個人はLINE、ダイレクトメールなどの宣伝をしない』上でやれる宣伝を出して行こうかなと。(勿論ライブハウスなどで会ったら『きてよ、、、お願いだから来てよ、、産ませてよ、、、』と泣きながらは言いますが』)

そげな訳で新しいアルバムのタイトルも決まりました、まだ公開はしませんけど、手にとって頂いた方に後悔はさせないものに仕上げてます(韻)。マジで良いから、内容も中身も!!!だって僕だもん!!やってるの僕だもん!!!

そして常々募集しているコチラ。

http://saisyutosyo.com/2018/06/02/kokki-no-door-5/

コチラもコツコツとコメントを頂いております、助けてくれて有難う!有難う!今日も役者やってる子に『おまえ知らないだろうけど僕ちょっとレコ発やるからなんか書いて欲しいんだけど』『うぃーすっ!!やりますよー!!』の二つ返事で返して頂きました。軽っ!!ノリ軽っ!!彼は僕のバンド自体知りませんし、僕も勿論教えませんが。

こうゆう時に動きが速い人とか面白がってくれる人ってとても度量がデカイなって思います。

僕の個人的な感覚だと、面白い事や、楽しみって与えられる物では無くて自分で作っていくものだと思っていて、『それに意味あんの?』って言葉が割と苦手です。

そんな事考えてたら丁度チャップリンの言葉で『人は何故意味を求めるのだ?人生に意味などない、あるのは願望のみだ。』ってあって『おおお、、チャップリン有難うな、、アンタ丁度思ってた事だよ、、、おおおお、、助かるわ、、』とか思いました。少し救われた感。

 

動機付けやら意味づけを僕は別に作ることは容易くて、考えればそうゆう『理屈』は簡単にパンパン出てくるんですよね。でもそんな理屈っぽい事で人生って存在してない様に僕は思っていてね、戦場カメラマンとか山に登る人とか意味を尋ねればそれなりの答えは出してくれるだろうけど、分かり易い理屈なんて本当は無いんじゃ無いかなと思ってる。

僕みたいにギターもさほどで歌もさほどな人間がバンドをやる事は理屈としては『無し』何だろうけど、理屈や意味でやってないから絶対に『有り』なんです。

 

だから人生を楽しむ道中での面倒とかはやりたいなと、どんなに面倒でも楽しみや、やり甲斐になるなら何の問題も無い訳ですし。

逆に要らない面倒はやりたかないです、税金とかよぅ、、家賃とかよぅ、、ままそれはしゃーないとしても。後は熱意の無い事かな。それはやりたく無い。

 

先に進む不安感があったとして、そこで起こる好奇心や喜びは人生を進めていきます。止まったままでは歳に追い抜かれてすぐに老いるともう流石に僕は気付いてるので。

 

人生は願望があれば良いんです。最近本当にそう思う。

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