画像は先日来て頂いたストレンジ飯田くんである、特に意味は無い上に写真が最近有りません。
毎日毎日よくもまぁネタがありますねと自分でも思いますけどね、こうね。目を閉じて今日一日で感じた事、考えた事、目に触れた事。
そう言った物を自分の中で言語化するんです。何よりも僕は腐れボーカリストでもある訳です、曲りなりとも腐れボーカリストが『言葉を紡ぐ』事を365日毎日できないなんてね、僕からしたらそんなもの言葉を扱う上で失格ですよ。
いいかい?『ブログを始めたけれどネタが毎日無い』そんな事を言ってたら何も始まらないじゃ無いですか?わかります?言葉とは自分の内側からそう、内なる力とでも言いますか、目に見えないからこそ、それを形にする事はある意味で言葉のトレーニングにもなってる訳です、僕はこの日記を始めておよそ2年目に差し掛かりましたけど、毎日必ず更新しています。
『アレ?こないだTwitterに上がってなかったけど?』とか思うだろう?
何気なくスペシャル短い日記を実はあげてるんです。ただまぁ『それをSNSに流した所で、、、何か?』な内容はイチイチ流さないだけでね。
今僕は滑稽のドアリハから帰る電車の中でこの日記を書いてます。君はどこでこの日記を読んでいるんでしょうね。寧ろ最終的に読まなかったら良いのにってたしかにここの段階で思ってますよ?僕だっておまえもうあと1時間しかねぇのに有意義な日記が書けると思ってるのか、何気なく書いちゃいるけども、毎回毎回それなりに自分の中でテーマを持って日記も書いてるんだ。それをこの野郎この電車の狭い車内で書けるわけがない。
ああ、そう言えば『電車の中で楽器持っててごめんなさい』みたいの良く見かけるけど僕はそれ思った事無いんですよね。
こりゃ僕の商売道具だ、確かに邪魔だろうけども、僕にとってはなくてはならない荷物だからね。なるべく混んでる時は薄くなるようにしている。それで申し訳ないが勘弁して欲しい。
例えばベビーカー。
ベビーカーが車内にあるからと言って苛立つのって相当了見の狭い話だと思う。皆んな乗ってたじゃないか。なんなら車椅子とかもだ。邪魔とかじゃないんだ必要なんだから。
老人の杖。登山家のバック。
全部その人に必要な物だ。だから申し訳なくなんて思わなくていい。ただ薄くなれる奴は薄くなってやればいい。
(薄くってなに?)
世界は今皆んな余裕がなさ過ぎる。特に都会に住んでる人はやたらと苛立っている。
僕は思う。
『薄くなってるから勘弁してくれ』さっきから薄く薄く言っているが何言ってるのかなんて僕にももうわかりはしないよ。ただただ真っ白な画面を見つめて、こうして便箋にペンを泳がせ、
行間でお茶を入れては、日々の生活の隙間を埋めている。
生きているから時間が過ぎていくのか、
時間をつぶすために生きているのか、時々それが判らなくなる。
ええ。手紙ですね。分かる人は分かる。The BOOMの名作中の名作です。僕の青春時代です。
さ。ここまで書き進めてみました。