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幡野広志 写真展「いただきます、ごちそうさま。」

そんな訳で今週の火曜丁度良く休みが取れたので幡野広志さんの写真展「いただきます、ごちそうさま。」に行ってきました。

少し前に樹海の写真とかで興味を持って現在のnoteの前の日記を拝見させて頂いてて『綺麗な文章書く人だな』と思って色々な日記を読ませて頂いてて。それ以上の背景は幡野広志さんのブログへ

https://note.mu/hatanohiroshi

そんで今回の写真展は狩猟をやっていた時の物の展示で、色々な写真を拝見させて頂きました。

基本的に動物の命を貰ってる事をリアルに写真に閉じ込めて見させてくれる。なんでそうゆう事をしようと思ったのかはこの個展の入り口にご本人からのメッセージがあるのでそちらを。僕的には人間が他の生物の生殺与奪について文句を言える立場でないと思ってるんですよね、逆も然りでライオンや熊の前に飛び出したら何のためらいもなく彼らは僕らを食べるでしょう。

それは当たり前の事だと思う(遊びで殺すのは違うと思うけど)。少しだけ人間て種類の動物が知恵をつけて道具で人間以外の動物を殺しやすくなっただけで。なんなら自分ら人間も殺してるか。

一方で殺処分から猫や犬を守ろうと言って、その一方で仕事の帰りにチャーシュー麺食べてるのが人間で。だけどそれが悪いとも思わないんです、人間は矛盾を抱えてるから人間なんだと思う。

その人間の人としての美徳と歪さを写真てフィルターで見させてくれるのがこの写真展なのかなと勝手に思ってます。

元々この方の日記の文章が綺麗でね、朴訥でもあるけど。狩猟をする事、それを日記に上げる事に対して結構な反発を受けている、それもちょっと顔が見えないから出来るんだろうなって言葉遣いの人が多くて、僕ならば『五月蝿いな』ってなる所をこの方は丁寧に反論したり諭したり。ちょっとそれは凄いと思う。病魔に襲われてるのですけど、その前から基本的に変わってない、だからこの人自体こうゆう部分に対する考え方がキチンと出来てるんだろうな。

そしてこちらでは1000円で入場出来てアルコールかソフトドリンク飲み放題かを選べて勿論僕は焼酎なんだけど、これは有難い、平日にお酒呑んで作品観れるなんて相当な贅沢だ。普段通りグデングデンでは困るけど流石にそんな見方はしないので。

二階では動画が。

この動画を7回くらい焼酎と共に観てた。この動画の中の事を僕は恐らく出来ない、けども間違いなく間接的にしている。と言うよりして貰っている。『成る程な』とずっと見る。

動物虐待とこれを思う人は居ないだろうとか思うんだけど結構な割合でいるんだろう。それはあんまりにもリアリティが無いなと思う、とあるヴィーガンの人がこの人の事をディスって『自業自得 因果応報 身から出た錆 獣食った報い』と言う。

その人が幡野広志さんのお子さんの写真を悪意を持って晒す。もうそこで矛盾が始まる訳ですよね、『人の子も動物』結局はその行いで主義から外れてしまっている。ヴィーガンの人も色々いるだろうし、こうゆう少しズレてる人も少ないとは思うけども。(でもそうなる気持ちの流れもあったのかな)

お子さんが大きくなった時にどんな風にお父さんを見るかはわからない、グレちゃったらお父さんなんか居ないじゃ無いか!とか思うのかも知れない。けれどこうゆう騒ぎや他にも色んな事柄を発信して人の言葉に真摯に向き合っていってる父親の姿を文字と写真から得られるのならその子は幸せだと僕は思う。この世には親の顔すら知らない人間が沢山いる。比較する理屈にはならないにしても家族を知らない孤独は一生ついて回る。

だけど彼の息子さんは時間軸がズレてしまってもそこにお父さんはいるって事を沢山の言葉と写真とで知るだろう。そしてそれが孤独から必ず始まると僕は思うけども、いずれ誇りみたいな物になったら今を生きてるこのお父さんの何よりの喜びになるんじゃ無いかなと、そんな勝手な事を思いながら見てました。

二階から降りて折角だからと御礼も込めてコースターにメッセージなんか書いてる時にマスターなのかな?館長さん的な方に他の閲覧しているおじさんが『これ目を開けさせてるのはちょっとな。狙いがあんのかな、普通目を閉じさせた方がいいと思うんだけど』って言っててまぁ作品はその人その人の感想で良いんだけどこの館長さん的な方が『そう撮りたい人が撮れば良いんじゃ無いでしょうか?』とか言ってて

『全くだ。』と思いながら焼酎空けて外に出た。雨が軽く降っててのんびり歩いて帰ろうと決めたり。

 

観れて良かったなー。まだやってるから機会があれば色んな人に見て欲しいな。

 

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