タイムマシーン

昨日の日記で音楽には時間の概念が無くてとか書きまして。

http://saisyutosyo.com/2020/07/16/sleep/

それについて語ったら随分書いてしまいそうだったので今日に移動。僕がこう、、生きてる中で音楽を人生の最後まで横たわる物として決めた理由はこれだったりすんだけど

音楽ってのは凄く私的な物に出来るんですよ。記憶と紐付くの。そして形が無い、波形だから色も匂いも無い。

そこに人がお金を払う位の事になってく理由があんですよね。

今ならストリーミングサービスの登場でまるで無料で聴けるようにもなってるけど、これだってキチンとやってれば作ってる人達に還元される仕組み。

↑画像クリックでサブスクまで(最近こーゆーステマが非常に上手いですねぇ)

例えば聴く側として小さい頃聴いた曲とか流れてきたら

なんか戻らん?その頃の情景や記憶が。

これはそれを聴いてた時の風景と音楽が紐付いて記憶に定着してるからだと思うんですよね、科学的な根拠なんて無いんだけど。そうゆう曲あるでしょう?

そして科学的根拠で言えばネガティブな記憶って忘れないって話があるんだけど、それは痛みと紐付いてるから。だから人は昨日食べた滅茶苦茶美味い焼き肉の味は忘れても、誰かと別れた時とか辛い思いをした時の事は忘れづらい。

なんだけど音楽の場合これが楽しかった事の記憶とも紐付いてくれる訳です。

そうですまさにサマーヌードです。

何か企んでる顔です、最後の花火が消えた瞬間です。五秒に一度だけ照らす灯台です。ピンスポットライトです。

神様も油断する地球の裏側で僕ら今です。

聴いてしまうともう、なんだかあの夏になりますよね。

そう、それにそれまくってますけども結局これが1番自分が今も続けてる理由だったりする。しかも定年が無い。ついでに言えば『色も匂いも形も有る』のがライブです。つまり

どっちも有る訳で、スポーツを応援する人ってのはどちらかと言うと『自己の夢の投影』だと思うんですよね。

『あのヒーローに思い切り勝って欲しい』

『イチローが我ら日本人の凄さを世界に』とか

それが良いとか悪いとかでは無くてスポーツは形があるけど、波形では無いよね、ラジオ音声とか有るだろうけどそのプレイヤーありきでしょう。

自分では出来ない事に感動して応援したり、自身の生き方の指針にしたり

けれど音楽ってあくまで聴く分には自分が主役じゃ無いですか、その人のテーマソングであり、解釈は無限にあって、その頃の思い出や辛い今とか乗り切らなきゃならない出来事を盛り上げたり。あくまで主役は聴いてるその人なんですよね。

そんな面白い物無いなと思って僕は始めたんですよね、んで個人製作よりもバンドが面白いなと思って色んな機会を得て野田サリーだなんて大所帯でやれてると言うね、バンドを始めてみてまぁ滑稽のドアの方が遥か前にやってるので当時は

すんげぇ大変でした。

コイツミリ単位で何も考え無いし活動してくれもしねぇから。

ぜーんぶ1から10までぜーんぶお膳立てして形にしなきゃならなかったからね。赤子か、生まれたてかお前は、初期は随分グダグタ言いまくりましたよ、大体僕がイライラしてるから最終的にコレに僕が殴られるって言うね。

一生懸命やって殴られるって酷い話だろう?

ただまぁコイツに関しては途中から馬鹿なりに考え出して今はなんにも思わない。これはこれでなかなか他には無い朴訥とした人間としての気持ち悪さがあるので、『こうゆうキ○ガイならまぁいいか』と言う感じ。有る側面で他に居ないタイプなんでそれなら良しとしてます。僕自分のやってる事を芸術みたい言うのが嫌いなんですけど、便宜上そうゆう総合芸術だと思います、ツーピースで2人とも人として残念なバンドも他にないもので。

まぁずっと言ってますけど基本的にステージ上で会ってれば良いので、そこでやっと出会う感じでやってます。

んで、野田サリー。

これはまた全く逆。呑みにはいくしやり取りは兎に角するし、色々考えてアレやったらとかコレやったらとか話し合うし人数がそもそも違うし男女混合だしと全てが逆なんですよね、滑稽のドアとは。最初は僕のこの感じなんで、結構んーと、イラつくと言うか、、滑稽って今は減ってますけど大体スタジオはずっとイラついてるんですよ。それが標準で。アレが出来ない時は当たり前にそうだとして、曲がまとまらない、自分の中にカッコ良い物がない、ギターの技術がとか自分に対してもだし。

それを薄っすら引きずって野田始めてみたら

これはダメだ。

と思いましたのでそこから少しずつ自分の向き合い方も変えて、考え方とか逆さまにして、だけど馴れ合うのだけはどうしてもバンドに関しては僕は嫌なので、しっかりしなきゃいけない距離感をそれぞれのメンバーと向き合う中で知っていったり逆にルーズにやる部分も作ったり。

そうこうする間に歌詞も明確に変えようと、まず滑稽のドアでは絶対確実に出ない言葉を敢えて使ってみようとか、自分も形を変えていってますね、それがまた面白い。歌詞は明確に面白い。各人から出てくる音も面白い、それはこうやったらどうなんの?とか言ってるのも面白い。

ってゆうね、音楽一つとっても苦労も考えもずっとしながら毎日してるからこれも今作った曲と共に記憶に残っていくじゃん、んで更に凄いのがこれからどんな曲が出来るのかが分かんと言う未知が楽しい。

相当贅沢な事をしてるんですよね、僕は。

だからこそキチンとやらなきゃならない。楽しいと楽は明確に違う。楽は僕は選ぶつもりがそもそもない。

そしてこの日記のオチも全く無い。

バンドマンがこの時期にテンション下げる理屈がちょっと僕分かんないんですけど、大事にしなきゃいけない場所とか位なら馬鹿な僕でも分かります。

どうぞ1つ宜しくお願いします。

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