配信と現物 音源の意味。

色々と雑である。ibis paintはこうゆうのも楽で良いけど細かい作業は苦手だ。

そんな訳で昨日は映画監督のコンスタン君に会いに行きましたがすれ違いで断念、ままどこかで遊びに行こう。

夜の部江ノ島はなかなか風流でしたけどiPhoneではこのくらいしか写真にならない。さて、本日は夜までグッと仕事。帰ってからの集中の度合いを考えないといけない。

音源制作も佳境です、今月完成してないとレコ発には勿論間に合いません、今月は何処かで連休取らないとヤバイな。まぁまぁなんとでもします。やると言ったらやるんだ人生は。最近はまた岡本太郎辺りを読んでるので尚更勇気が出ます。滅茶苦茶なようで芯が通ってる、ピカソなんかはもうクレイジーだし、作品とかは良いなーと思うんだけど、人間味が有りすぎて病気だと思うんですよね、あの人は。

 

関わった女性が殆ど自殺してるのもなんか関係があると思う。まぁそんな流れでセザンヌとか調べたりしてたんだけど(なんでかは自分でも分からない)個人的にはそこまで。セザンヌの絵は死んでから物凄い金額で取引されてたんだろうけど、ゴッホなんかと同じで『今更かよ』感は拭えない人生ですねなんか。生きてる間に評価されて欲しかったなーといつも思う。

そんなこんなで最近は本を結構読みたい。フィクションより自伝とか伝記とかノンフィクションとかの方が今は良いなぁ、、電子書籍ではたまに読んでるんだけどやっぱり形があった方が僕は良いタイプ、これはどっちが優れてるとかでは無くて質感がある世代なせいだと思う、音楽もそうですよね、CDとかレコード、もうちょい言えばカセットもMDも物に溢れてる時代で生きてきたから(貧乏でしたけど、それでしか触れられなかった)そっちの方が個人的に好きだったり。配信も何気なくしてますけど、それは興味が持てたら現物を買う方向の考え方ですね。

えぇ時代遅れです。なんだけど部屋で音源かけるとCDなもんで聴き方は濃密になります、シャッフルは厳選した好きな物だけ流れるけど、『捨て曲』みたいに感じてた物が歳をとって『あれ?これ名曲ね。』とかなったり、自分のキャパシティは広がる一方なものでアナログな聴き方は音楽の楽しみ方の1つだと思うんですよね、隠しトラックとかもCDとかだとニヤつきますよね。(滑稽のドアのCDの方は何気に隠しトラック有りますけど)あの曲が終わってから『あれ?なんでこの曲終わってるのに止まらないんだ?』とかの瞬間の発見てちょっとドキドキします、ニルバーナの終わってから22分後とかはやり過ぎだろと思ったけどアレも楽しかったなー。シャッフルはシャッフルで仕事行く時とかは最高だと思う、BGMもかな。

 

まぁ要は作る側の人は意図を持った方が良いと僕は思うんです、配信にしろ現物にしろ『どうしてその形なのか?』を突き詰めて考える、結果誰にも相手にされなくても考える、煮詰める。その作業を本気でやりたくて今回からのセルフレコーディングです。アートワークもですね。

ずっと考えてると見えてくるものがあって、制作は多分2月くらいからなんですけど今思いますもん。

 

8ヶ月くらいじゃ間に合わねーよと。

 

でもセザンヌもゴッホも人間としてはそんなに興味無いのだけど、どんなに生前評価されなくとも突き詰めた人生ではあったと僕は感じてるんですね。

 

僕はそうゆう風に生きていたい。

 

さぁもう明後日だ。

何気にあと200ちょいで1000再生これもこの時の全力です。

 

 

 

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