さいとぅーの近影である。後のアプロディーテーと共に愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱になると言われる。

はい。そんなこんなで本日は野田サリーリハで御座いました。こないだのライブからの久々のリハでした。今日は台風っちゅー事でエツさんきしくん共に機材は少なめでお願いしつつ、色々曲をやってみました。

ここのスタジオアップライトベースがあるからビックリする。(ベースのさいとぅー君の後ろにある)

次のライブでなんとか出せそうな物が1つと。新しく面白そうなのが1つ。ネタとしては良く出せたのでは無いかな。これをこう、、、やっぱ最高な感じにしたい。理屈とか要因とか言葉でまとめるのは多分上手い方なんですけど、ガチガチにはいかない。なんか全部を自分のイメージに揃えるってよりよくわからない所を皆んなに出して貰って拾っていくのが野田では良いなと思ってます。

自分じゃ想像出来ない事をやってくれるので。

きしはVOXアンプにスイッチャー、一発だったけどこれはこれで結構有りよね。スイッチャー。少し気になるな。調べてみても良いな。

野田サリーは基本的に出来ない事はほぼほぼ無いと思っていて、楽器数も有りますけど個人個人の技術的にも問題無いから楽しみが多い、その反面人数多いので全員が全員『これマジかっこいいよね』に到達するのが難しい。僕の理想はその『これマジかっこいいよね』を常に皆んなで出来るように。

そこは常に思うなぁ。で無いとつまんないじゃ無いすか、メンバーの中に『これ自分はつまんないけど皆んながやるって言うから弾いてる』みたいな感覚のメンバーがおったらそれは『勿体無い』抜群に勿体無い。

その段階でやり切れてない人がいるわけでバンドとしては致命的だと思う。

まぁ良くあるのがバンドさんの曲に感動してそのメンバーさんに話しかけたら『いやまぁやれって言われてるだけだから』って自分関係無いっす発言される時な。アレ本当に切ない。それに感動して話しかける位喜んだ心を返せ。それはバックバンドやで。

やってる側が曲に想い入れなり楽しみとか喜びでも良いし、苛立ちでもなんでも良いんだけどその人が構成されてないと結構寂しい。

自分だけかなとも思うけど、バンドって総合芸術だと思ってるので、色々思惑がそれぞれに合った方が僕は面白い、コントロール出来ない部分。それをコントロールする部分もそれはそれで面白いけど、『勝手にカッコよくなるなぁ。』て瞬間は凄いなぁと思いながら見てます。

滑稽のドアではギター弾いてますけど野田で弾かないのはそうゆう理由もあり、自分が弾いた方がイメージ早いかなとか思う時もあるんだけど、野田のギターのきしこうじってフィルターを通さないと出せない物があるので。

きしがヤバイくらい凄いところにいったら僕も無駄なサイドギター弾こうかなって思ってますけど。

本当に要らないくらい無駄なサイドギター。

こんなのもアリ。クリムゾンのこのセンターのオッサン楽しそうよねいつも。クリムゾン漁ってたら時代時代だからイメージも人も違ってたり、その中でもこの人は好きだな。

1人だけテンションてか

もう動き自体が変。

良いなー。